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大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
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※ 各区やわが町・大阪について、図書館でよくお尋ねのある質問と回答を区毎にまとめてみました。
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北区に関するよくある質問と回答

天神祭りの本はありますか

 天神祭りは、大阪天満宮(大阪市北区)の夏の祭礼で、日本三大祭のひとつにも数えられます。最大の特徴は、船渡御と呼ばれる水上パレードです。出版も多くありますが、以下にいくつか紹介します。

【参考文献】
『天神祭-火と水の都市祭礼-』大阪天満宮文化研究所編 思文閣出版 2001 書誌ID 0010210881
『天神祭-なにわの響き-』井野辺潔編著 創元社 1994 書誌ID 0000403773
『天神祭-水の都・千年の祭-』米山俊直編著 東方出版 1994 書誌ID 0000404473
『天満宮御神事御迎船人形図会』高島幸次編著 東方出版 1996 書誌ID0000561320
『大阪学 世相編』大谷晃一著 経営書院 1998 書誌ID 0000717313
『大阪春秋 第49号 おおさかの天満宮と天神信仰』 1987 書誌ID 0070031274
『なんででんねん天満はん-天神祭-』今江祥智ぶん 長新太え 童心社 2003 書誌ID 0010552365
●写真を中心としたもの
『大阪天神祭-上田安彦写真集-』上田安彦著 東方出版 1995 書誌ID 0000460516
『天神祭-火と水の祭典-』大阪観光協会 1988 書誌ID 0080196466
『大阪懐古-半世紀昔の庶民の町-』緑川洋一著 東方出版 2001 書誌ID 0010150562

天神橋筋商店街についての本はありますか

 天神橋筋商店街は日本一長い商店街として知られます。新聞・雑誌にもよく取り上げられています。以下のような資料があります。

【参考文献】
『天神さんの商店街』土居年樹著 東方出版 2002 書誌ID 0010336582
『パノラマウォーク大阪の商店街 上』大阪市商業振興企画・編 大阪市経済局 [1998] 書誌ID 0000684575 (p16〜21)
『大阪春秋 93号 おおさかの商店街』大阪春秋社 1998 書誌ID 0000715234 (p18〜21)
『大阪人 2003年8月号 商店街観光』大阪都市協会 2003 書誌ID 5110562296 (p6〜11)

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長柄の人柱伝説について

 現在の長柄橋は北区天神橋8丁目にあり、その南東部は長柄東・長柄中・長柄西となっています。しかしながら、長柄の人柱伝説は各地に伝わっており、その正確な所在地も諸説があり、明らかではありません。*1
 『わが町大淀区いまとむかし』*2によれば、「長柄の人柱の伝説は有名です。人柱を立てることを言い出したのが、垂水(たるみ)の長者巌氏(いわし)で、はかまに継ぎのあたった人を人柱にすればよいと言いだした巌氏自身のはかまに継ぎがあたっており、人柱になる結果となったいうのが伝説の荒筋です。」とあります。そして、巌氏の嫁いでいた娘の照日(てるひ)が、父が人柱になったことを聞いてショックを受け、物を言わなくなってしまいました。困り果てた夫が、娘を実家に帰す道中で、草の中からキジの鳴く声が聞こえたので、すかさず射ました。すると娘は、「物いわじ父は長柄の人柱鳴かずば雉子も射られざらまし」という歌を詠んで悲しんだということです。また、むかし『長柄』は、柴島町や淡路本町から南吹田にまでまたがっていたこと。大小の島があり、流れの早い川があって大変な交通の難所であったことや、大阪に都があり、山陽・山陰地方へ出るには、橋を渡さねばならなかったことが書かれています。

【参考文献】
*1 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川日本地名大辞典編纂委員会編 角川書店 1983 書誌ID 0000184865 p882
*2 『わが町大淀区いまとむかし』植田定冶著 わが町大淀区いまとむかし刊行会 1977 書誌ID 0070052031 p18〜24
『大淀区史』大阪都市協会編集 大淀区コミュニティ協会 1988 書誌ID 0000246498 p16〜17
『大阪の橋』松村博著 松籟社 1987 書誌ID 0000164468 p46〜47
『大阪市立豊崎本庄小学校100年のあゆみ』大阪市立豊崎本庄小学校記念誌部編 大阪市立豊崎本庄小学校 1975 書誌ID 0080215312 p38〜41
『読みがたり大阪のむかし話』大阪府小学校国語科教育研究会「大阪のむかし話」編集委員会編 日本標準 2005 書誌ID 0010994902 p81〜84
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造幣局の桜の通り抜けについて

 関西の春の恒例の行事となっている造幣局の桜の通り抜けですが、はじまりは明治16年(1883)4月20日といわれています。時の造幣局長遠藤謹助の「局員だけの花見では、もったいない。市民とともにたのしもうではないか」との発言で、構内の川岸通りを開放することにしました。当時より混雑緩和のため一方通行とし、現在も南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)へ通り抜ける方法をとっています。桜は、明治のはじめ藤堂藩の蔵屋敷から移植されたものが発祥です。また種類も豊富で、『通り抜けの八重桜』*1に載っている写真でその一端を楽しめます。毎年の桜の通り抜けの情報は、独立行政法人造幣局のホームページにて最新情報がわかります。*2

【参考文献】
*1 『通り抜けの八重桜』 大蔵省造幣局 造幣局泉友会 1993 書誌ID 0070022161
『通り抜けの桜』造幣局泉友会 創元社 1985 書誌ID 0000322122
『通り抜け』 造幣局泉友会 創元社 1996 書誌ID 0000558081
*2 独立行政法人造幣局のホームページ(桜の通り抜けの情報) 
http://www.mint.go.jp/sakura/index.html (2007年12月21日確認)
独立行政法人造幣局のホームページトップ http://www.mint.go.jp/index.html
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