大阪市立図書館:此花区に関するよくある質問と回答
大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
※ 各区やわが町・大阪について、図書館でよくお尋ねのある質問と回答を区毎にまとめてみました。
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此花区に関するよくある質問と回答
此花区にあるゴミ処理場を設計した人の名前と、舞洲(まいしま)工場の写真を見たい
『ゴミと社会2001』*1 によると、2001年4月に完成した舞洲(まいしま)工場は、オーストリア人の芸術家フンデルトヴァッサーさんがデザインしました。環境に配慮し、自然に調和するよう、建物に緑を植え、色鮮やかなデザインになっています。表紙とp..20に写真が掲載されています。 写真は他にも、『ゴミと社会2004』*2 の表紙とp.15や『此花区コロンブスマップ』*3 のp.42や『大阪市プロジェクトガイド2004』*4 のp.51舞洲スラッジセンターの項にもあります。
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【参考文献】
*1 『ゴミと社会2001』大阪市環境事業局編 2001 書誌ID 0010042514
*2 『ゴミと社会2004』大阪市環境事業局編 2004 書誌ID 0010756586
*3 『此花区コロンブスマップ』大阪市此花区役所編 2005 書誌ID0011012218
*4 『大阪市プロジェクトガイド2004』大阪都市協会編 2004 書誌ID 0010805383
此花区伝法の歴史について、子ども向きに書かれたものがあれば、教えてください。
『伝法 わたしたちの町と学校』*1には、明治から平成5年までの、伝法の歴史が書かれています。また『大阪市立伝法小学校創立100周年記念誌』*2には、伝法のむかしの写真が掲載されています。『わたしたちの此花区 5版』*3には、昭和63年までの此花区の歴史がまとめられています。『此花区まちづくりレポートーみんなで咲かそ、この花・未来ー』*4の p.40-41には伝法の名所や史跡について書かれています。
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【参考文献】
*1 『伝法 わたしたちの町と学校』大阪市立伝法小学校創立120周年記念誌部編 1993 書誌ID 0090011036
*2 『大阪市立伝法小学校創立100周年記念誌』大阪市立伝法小学校創立100周年記念事業委員会編
1973 書誌ID 0000486439
*3 『わたしたちの此花区 5版』此花区社会科研究部編 1988 書誌ID 0090013123
*4 『此花区まちづくりレポートーみんなで咲かそ、この花・未来ー』関西総合研究所編 大阪市此花区役所企画総務課 2001 書誌ID 0010375463
此花区にあった渡船について
大阪市の臨海地帯にある此花区は、北は新淀川、南は安治川にはさまれている区です。昭和18年に現在の区域が確定されました。『此花区史』*1によれば、安治川は、「船舶の往来盛んな地域には橋梁の架設が交通上障害となるため、いわゆる無橋地域とせられたため」とあり、流域には多くの渡船がありました。
昭和17年当時の『最新此花区地図』*2をみますと、安治川の渡船は上流より、西九条・一丁目・源兵衛・二丁目・中ノ渡(玉船)・三丁目・開昇・松鼻・築地・築港の10の渡船があることがわかります。その後、工業地帯の激増した交通量を処理するため、昭和19年9月15日源兵衛渡付近に安治川墜道が開通しました。この安治川墜道の開通により、源兵衛・二丁目・二丁目荷車・玉船(中ノ渡)の4渡船が廃止となりました。さらにその後昭和20年6月に築地、昭和21年11月に一丁目渡船も廃止となりました。昭和30年には西九条・三丁目・開昇・松之鼻・天保山(築港渡の改称とおもわれる)の5渡船がありました。この後昭和40年中頃に、西九条・開昇・松之鼻の3渡船が廃止となり、平成元年には残っていたふたつの渡船のうち、三丁目渡船が廃止となり、現在は、唯一天保山渡船のみ残っています。
次に新淀川には、対岸の西淀川区とのあいだに三ノ免渡と大浦渡のふたつの渡船がありましたが、昭和25年に廃止されました。この渡しについては、『西淀川区史』*5にくわしく述べられています。
なお、安治川隧道と天保山渡船については、此花区役所のホームページに紹介されています*6。
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【参考文献】
*1『此花区史』大阪市此花区役所 大阪市此花区三十周年記念事業委員会 1955 書誌ID 0000228462 p92〜94
*2『最新此花区地図』日本統制地図 1942 書誌ID 0080350024
*3『大阪市精密住宅地図此花区』吉田地図 1967 書誌ID 0080242222 昭和46年版此花区区分図のページ
*4『「三丁目渡し」をしのぶ』此花区郷土史同好会 出版年不明 書誌ID 0090011038
*5『西淀川区史』大阪都市協会 西淀川区制七十周年記念事業実行委員会 1996 書誌ID 0000531056 p219
*6 此花区役所ホームページ
1 天保山渡船 http://www.city.osaka.lg.jp/konohana/page/0000001418.html
2 安治川隧道 http://www.city.osaka.lg.jp/konohana/page/0000001459.html
(2010年7月1日確認)
四貫島(しかんじま)という地名の由来について
『西成郡史』*1および『此花区史』*2には、つぎの二つの説が述べられています。はじめの説は、「この島が出来て後の
人が四貫文の価をもって得たところから四貫島の名が起る(摂陽群談)」というものと、二つめの説は、「蜀山人の浪華
の旅書に昔四官という唐人の住んでいたところから四官が四貫になったとの説」です。さらに『此花区史』の注釈*3に
よるともう一説あり、「このほかに四貫島の観音堂にもとめるものがある。(中略)観音止まり給う因縁にて六軒屋をあら
ため止観島と名づけたという。」と述べられており、三番目の説は、『角川日本地名大辞典27大阪府』*4の四貫島の項
にも述べられています。
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【参考文献】
*1 『西成郡史』大阪府西成郡役所 1915 書誌ID 0070052032 p411
*2 『此花区史』大阪市此花区役所編 大阪市此花区三十周年記念事業委員会 1955 書誌ID 0000228462 p6
*3 『此花区史』大阪市此花区役所編 大阪市此花区三十周年記念事業委員会 1955 書誌ID 0000228462 p10
*4 『角川日本地名大辞典27 大阪府』「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1983 書誌ID 0000184865 p563
阪神西大阪線について
『阪神電気鉄道八十年史』*1によりますと、阪神西大阪線は、阪神本線尼崎駅から西九条駅までの6.3kmの路線です。尼崎駅から大物、出来島、福、伝法、千鳥橋、西九条の駅があり、尼崎市、大阪市西淀川区、此花区を結んでいます。その歴史を述べますと、本線の輸送力増強のために企図された阪神間増設線の一部として、1914(大正13)年1月20日に大物―伝法間が開通し、当初は、伝法線という線名でした。その後8月1日に伝法―千鳥橋間、1928(昭和3)年12月28日に尼崎―大物の営業を開始しました。戦後間もない時期から本線の輸送力が限界に近づいたため伝法線の延長が千鳥橋から西九条をへて難波まで計画されました。その1期工事として、千鳥橋から西九条間の延伸が、1964(昭和39)年5月21日に開通しました。この時に路線名が従来の伝法線から西大阪線と改称されました。2期工事として、西九条から難波への延長工事中でしたが、地元の反対があり、1967(昭和42)年に中断しました。難波への延伸工事が実現しますのは、2001(平成13)年7月、西大阪高速鉄道という第三セクターが設立されてからです。西大阪高速鉄道と西大阪線の難波までの延伸工事については、『阪神電気鉄道百年史』*2および『西大阪延伸線』*3に詳しく述べられています。2009(平成21)年3月20日に大阪難波までの延伸工事をしていた区間が開業し、西大阪線は阪神なんば線と路線名が改称されました。また、大阪難波駅で、近畿日本鉄道との相互乗り入れがスタートし、阪神三宮から近鉄奈良までの直通列車の運行がはじまりました。*4
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【参考文献】
*1『阪神電気鉄道八十年史』日本経営史研究所 阪神電気鉄道 1985 書誌ID 0070038999 p150.p251、p329、p331p332
*2『阪神電気鉄道百年史』阪神電気鉄道 2005 書誌ID 0011135524 p612〜618
*3『西大阪延伸線』西大阪高速鉄道 2003 書誌ID 0010809753
*4 西大阪高速鉄道ホームページ http://www.nishiosaka-railway.co.jp/ (2009年1月21日確認)