大阪市立図書館:大正区に関するよくある質問と回答
大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
※ 各区やわが町・大阪について、図書館でよくお尋ねのある質問と回答を区毎にまとめてみました。
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大正区に関するよくある質問と回答
大正区の渡船について
大阪市内には渡船場が8か所あり、大正区には7か所(甚兵衛渡船場・落合上渡船場・落合下渡船場・千本松渡船場・木津川渡船場・船町渡船場・千歳渡船場)あります。その歴史については『大正区史』*1 157ページから161ページに記述があります。他に『大阪市渡船場マップ』*2 があり各々の渡船場の地図と、標準の時刻表、簡単な解説が、写真とともに記載されています。また『旧跡・渡船場表示板』*3 には、大正区内の名所として顕彰するために設けられた表示板の意匠が掲載されています。
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【参考文献】
*1『大正区史』大阪都市協会編 1983 書誌ID 0070059807
*2『大阪市渡船場マップ』大阪市土木技術協会編 2000 書誌ID 0000818246
*3『旧跡・渡船場表示板』大阪市大正区役所区民企画室 2005 書誌ID 0011002070
昭和山の由来について
大正区千島にあり、区画整理事業により造られました。詳しくは 『大正区史』* 144ページに記述があります。
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【参考文献】
*『大正区史』大阪都市協会編 1983 書誌ID0070059807
大阪俘虜収容所について
大正3年(1914)ドイツ陸軍の捕虜を収容するために、大正区(当時は西区)に設置され、大正6年(1917)に閉鎖されるまで760名を収容していました。詳細は『大正ドイツ友好記念-大阪俘虜収容所資料集-』*1に記述があります。捕虜に対する扱いは、朝夕二回の点呼以外に労働は特になく、演劇、音楽、スポーツなどを楽しんだということです。開放後も日本に永住を希望し留まった者も少なからず、神戸のバウムクーヘン製造で有名な、カール・ユーハイムさんもその一人です。
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【参考文献】
*1『大正ドイツ友好記念−大阪俘虜収容所資料集-』大正ドイツ友好の会・大正区役所 2006 書誌ID 0011377740
『大正ドイツ友好記念除幕式典』大正ドイツ友好の会・大正区役所 2006 書誌ID 0011162661
『大正ドイツ友好記念 大阪俘虜収容書所資料集』大正ドイツ友好の会・大正区役所 2006 書誌ID 0011377740
『毎日グラフ1984.11.11号』毎日新聞社 1984 書誌ID 0080203426 p64
昔、大正区内にあったという木津川飛行場について知りたい
『大正ガイドブック』*1には、「大正9年逓信省に新設された航空局は、大正区船町の231,000u (軍用地と私有地)を飛行場用地に内定した。大正15年から拡張整備にかかり昭和3年3月、389,400uの整備を終わり、昭和4年4月から公共の木津川飛行場として供用を開始した。」と記されています。『わたしたちのまち大正区』*2によると「現在の船町2丁目」にあたるそうです。『大正ガイドブック』*1によると、「昭和13年の年間発着は定期5,107回、不定期3,676回、旅客10,124人、取扱貨物38,700余kg、郵便97,700余kgで、国内でトップクラスにあった。」とのことです。『大正区の歴史を語る』*3には、 「スチュワーデス (客室乗務員)の第1号は大正区が最初でした (中略)。運賃は最初、大阪―高松間で40円。」といった記述があり、当時の様子をうかがうことができます。
しかしその後、「逓信省は、予備飛行場を昭和14年1月兵庫県伊丹市に開設、次第に国際飛行場として発展するにつれ、木津川飛行場は衰退した。」と、『大正ガイドブック』*1に記述されています。この間の経緯については、『大阪春秋17号 北摂前編』*4所収の「大阪空港はどういう「いきさつ」でできたか―伊丹空港のおこり―」に詳述されています。
なお、『懐かしい大正区の風景』*5に、当時の飛行場や、「木津川飛行場跡の碑」の写真が収録されています。
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【参考文献】
*1 『大正ガイドブック』大正区役所 2007書誌ID 0011422725 p56
*2 『わたしたちのまち大正区』大阪市大正区役所 2007 書誌ID 0011422720 p41
*3 『大正区の歴史を語る』大阪市大正区役所 2005 書誌ID 0011134761 p21
*4 『大阪春秋17号 北摂前編』大阪春秋社 1978 書誌ID 0070052022 p111〜113
*5 『懐かしい大正区の風景』 大正区役所 なにわの海の時空館 2006 書誌ID 0011265202 p18
大正橋について知りたい
『大正区史』*1によると「大阪の“島”といわれた大正区と、都心をつなぐ唯一のメーンルートとして、大正四年八月、市電の開通とともに架けられた。」木津川にかかる橋です。
大正区の区名の由来ともなっており、『大正区史』*1によると「住民の意見を尊重し、大正橋にちなんでつけられた。」とのこと。ちなみに「大正橋区」では長すぎるので、「大正区」となったそうです。
『懐かしい大正区の風景』*2に、「長さ90.62m、幅22.15mで船の運航を妨げないよう橋脚を持たない橋として設計された。」と記述があります。
『大阪史蹟辞典』*3では、その後、老朽化がひどく1969年から5年かけて付け替え工事が行われたことがわかります。『大阪春秋 63号 港区・大正区』*4には付け替えについて詳しい記述があります。それによると、1969年3月に、大正橋の下流に、新しい橋が完成し、元の橋は同1969年3月に撤去されました。その後、元の橋と同じ場所に新しい橋を作り、1974年3月に完成。2本の橋が一体化して、現在の姿になったそうです。『わがまち大正』*5には旧大正橋、付け替え時期、現在の姿の3枚の写真が収められています。『懐かしい大正区の風景』*2によると、現在の大正橋は長さ79.96m、幅41mです。
また『懐かしい大正区の風景』*2には大正橋の写真が多く収録されています。
ちなみに、現在の橋は下流側の欄干を五線譜に見立て、ベートーベン作曲の交響曲第9番「歓喜の歌」の楽譜がデザインされており、歩道にはメトロノームの堰堤(えんてい)、ピアノの鍵盤がデザインされています。
大正区役所ホームページ内の「大正区の橋」のページ*6 で写真を確認できます。
2009年3月31日確認)
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【参考文献】
*1 『大正区史』 大阪都市協会 大正区制施行五十周年記念事業委員会 1983 書誌ID 0070059807 p28,p67
*2 『懐かしい大正区の風景』 大阪市大正区・なにわの海の時空館 2006 書誌ID 0011265202 p9
*3 『大阪史蹟辞典』 三善 貞司 清文堂出版 1986 書誌ID 0000214926 p368
*4 『大阪春秋 63号 港区・大正区』 大阪春秋社 1991 書誌ID 0070108805 p24
*5 『わがまち大正‐大正区制施行70周年記念誌‐』 大正区制施行70周年記念事業実行委員会 2003 書誌ID 0010499553 p29
*6 大正区役所ホームページ − 大正区の橋 http://www.city.osaka.lg.jp/taisho/page/0000000471.html