大阪市立図書館:城東区に関するよくある質問と回答
大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
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※ 各区やわが町・大阪について、図書館でよくお尋ねのある質問と回答を区毎にまとめてみました。
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城東区に関するよくある質問と回答
大坂冬の陣の鴫野(しぎの)・今福(いまふく)の合戦の碑はどこにありますか
大坂冬の陣の鴫野・今福の合戦は城東区を主戦場としたもので、その碑が1920年に現在の大阪市立城東小学校(城東区鴫野東3丁目16-14)の校庭に建てられ、今も残っています。碑の姿は、『城東見聞録』*1や城東区ホームページの「区の紹介」*2中、「名所・旧跡」の鴫野・今福古戦場碑の項で、カラーでご覧いただけます。また、『大阪史蹟辞典』*3の鴫野古戦場碑の項では、合戦のようすも含めて説明がなされています。合戦自体については『城東区史』*4の「第一章 城東区の歴史」にも詳しい記述があり、「第四章 城東区の文化」には、碑文が掲載されています。
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【参考文献】
*1 『城東見聞録』 大阪市城東区役所区民企画室 2005 書誌ID 0011046720 p6
*2 「(城東区役所HPより)名所・旧跡>鴫野・今福古戦場碑」 http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000754.html
*3 『大阪史蹟辞典』 三善貞司編 清文堂出版 1986 書誌ID 0000214926 p226
*4 『城東区史』 木村武夫編 城東区史編纂委員会 1974 書誌ID 0000246500 p38〜42 p477〜478
榎並猿楽(えなみさるがく)について知りたいのですがどのような資料がありますか
猿楽(申楽とも)とは、平安・鎌倉時代に盛行した滑稽な雑芸、およびそれを母胎にして鎌倉末期ごろに成立した能、また能を演じる役者のことをいいますが(『邦楽百科辞典』*1による)、南北朝から室町時代にかけて活躍した榎並猿楽座については、『能樂源流考』*2や『中世芸能史論考』*3が先行する研究を踏まえたうえで、榎並を含む丹波猿楽三座について考証しています。『城東区史』*4の「第一章 城東区の歴史」にもまとまった記述があります。
また、現在、大阪市立榎並小学校東門前(城東区野江4丁目1)に、榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承の地の碑が建てられており、城東区ホームページの「区の紹介」*5中、「名所・旧跡」の同碑の項、『城東見聞録』*6で見ることができます。
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【参考文献】
*1 『邦楽百科辞典』 音楽之友社 1984 書誌ID 0000214908 p438〜439
*2 『能樂源流考』 能勢朝次著 岩波書店 1938 書誌ID 0070077785 p323〜350 p1028〜1039
*3 『中世芸能史論考』 森末義彰著 東京堂出版 1971 書誌ID 0080170588 p46〜68
*4 『城東区史』 木村武夫編 城東区史編纂委員会 1974 書誌ID 0000246500 p22〜24
*5 「(城東区役所HPより)名所・旧跡>榎並猿楽(えなみさるがく)発祥の地・榎並城跡(えなみじょうあと)伝承地の碑」 http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000676.html
*6 『城東見聞録』 大阪市城東区役所区民企画室 2005 書誌ID 0011046720 p32
今の城東区に昭和の初め頃あったという大阪国技館について知りたい
1937年(昭和12年)に、旭区関目(現在の城東区古市)に竣工した大阪国技館(大阪大国技館とも)については、同年に発刊された『大阪大場所大相撲写真帳-大阪大国技館竣工記念-』*1という資料があります。表紙に描かれた絵からもわかるように、鉄筋コンクリート4階建ドーム式の相撲場で、収容人員は25,000人、と概要に記されています。
『大阪史蹟辞典』*2、『城東区史』*3『城東見聞録』*4にも大阪国技館についての項目があり、*4では「当時、国技館を中心に商店街や住宅を整備し、新たなまちを作る計画がありましたが、昭和16年(1941)の太平洋戦争の勃発とともに、立ち消えとなりました。大阪国技館も、わずか4年間、7回の準本場所が開催されただけで役目を終え、昭和26年(1951)頃には解体されました」と紹介されています。
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【参考文献】
*1『大阪大場所大相撲写真帳-大阪大国技館竣工記念-』旭土地興業 1937 書誌ID 0000506177
*2『大阪史蹟辞典』三善貞司編 清文堂出版 1986 書誌ID 0000214926 p76
*3『城東区史』木村武夫編 城東区史編纂委員会 1974 書誌ID 0000246500 p480〜481
*4『城東見聞録』大阪市城東区役所区民企画室 2005 書誌ID 0011046720 p35〜36
城東区の沿革について
『城東区史』*1に「かえりみれば、城東区ほど分区を重ね、区名を変えた区はほかにない」と記されている当区の沿革を、大阪市に編入された時期から概観すると以下のようになります。
(1)古くは東成郡榎並町、鯰江町、中本町、城東村、榎本村の区域でしたが、1925年(大正14年)4月1日の第2次市域拡張のときに市内に編入され、新しく誕生した東成区の一部となりました。
(2)1932年(昭和7年)10月1日、当時の東成区は南北二つに分割され、その北部は新たに旭区と称しました。それにともない、この地域は旭区の南部地域と東成区の北部地域に属することになりました。
(3)1943年(昭和18年)4月1日、全市の区界是正が行われ、分増区をした結果、旭・東成の両区から分かれてここに城東区が誕生しました。「城東」の区名を称したのは大阪城の東に位置することからです。
(4)1955年(昭和30年)4月3日、6か町村が市域に編入(第3次市域拡張)された際に、北河内郡茨田町は城東区に編入されました。(5)1974年(昭和49年)7月22日、行政区の再編により、区の東部を鶴見区として分立させました(以上は*1および『わがまち城東区』*2による)。
また、当区での住居表示は、蒲生・関目地域を除いて1973年(昭和48年)10月1日付で実施され、1976年(昭和51年)11月1日には残りの両地域でも実施されました(『住居表示整備事業概要 平成12年度』*3による)。
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【参考文献】
*1 『城東区史』 木村武夫編 城東区史編纂委員会 1974 書誌ID 0000246500
*2 『わがまち城東区』 大阪市城東区役所 2005 書誌ID 0011384884
*3 『住居表示整備事業概要 平成12年度』 大阪市市民局 [2001] 書誌ID 0010168824
城東区を流れている城北川について、知りたい
城北川は、昭和10年の城北運河の着工に始まります。当時、工業地域としては舟運の便を著しく欠いているということで、区画整理とあわせて、この運河を開きました。城北運河の位置は、旭区(現都島区)友淵町淀川左岸より赤川町、中宮町、野江町を経て森小路に至り南折し、今福町を経て放出町寝屋川右岸に至ります。寝屋川と旧淀川(大川)を結ぶ総延長5615m(城東区内は2130m)、幅40mという大規模なもので、昭和15年12月に完成しました。*1
昭和30年〜40年代の高度成長期には、工場、家庭排水により、城北運河もドブ川化しました。そこで、昭和41年度から城北運河の浄化作戦が始まります。第1次改修として5ヶ年計画で鋼矢板護岸工事を行い、生活排水が流れ込まないよう沿岸の下水道敷設を併行しました。昭和42年度からは河岸公園と遊歩道整備工事にも着手、昭和46年度からは満干潮時に大川口、寝屋川口の両水門操作も開始され、きれいな淀川の水を導入し汚れた寝屋川の水が締め出されるようになりました。*2 このような浄化作戦の成果として、昭和48年1月には城北運河の城東地区で、フナやモロコ等の稚魚の生息が確認されています。*3
昭和60年4月6日に普通河川であった城北運河は「城北川」として、一級河川に指定されました。昭和60年度からは、国・府の補助を受け、治水及び貴重な公共空間としての河川環境機能の増進を図ることを目的とした改修事業が始まり、河積拡大のための工事などを行いました。また、水辺に親しむことができるように遊歩道を改善したり、水遊び場等を各所に設けるなどしました。*3
国において「ふるさとの川モデル事業」が創設され、城北川も昭和62年12月に「ふるさとの川モデル河川」に指定されました。平成2年の「国際花と緑の博覧会」開催時には、菫橋から中菫橋の間に、「光のモニュメント広場」「水と彫刻の広場」「滝の広場」が、また大喜橋から今福大橋の間に遊歩道沿いのテラスから城北川を眺望できる「リバーサイドテラス」が整備されました。*3 平成18年度から、城東区で「城北川アピールプロジェクト」として、城北川を区のまちづくりに活用し「城東区のランドマーク」とする取り組みが始まっています。平成18年の「城北川魚類生息状況調査」では7種類の魚類の生息が確認され、その他「城北川ミニフェスティバル」などの催しも開催されています。*4
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【参考文献】
*1 『城東区史』木村武夫編 城東区史編纂委員会 1974 書誌ID 0000246500
*2 『城東区50年のあゆみ』 城東区制五十周年記念事業実行委員会 1993 書誌ID 0000599206
*3 『大阪の川』 「大阪の川」編集委員会編 大阪市土木技術協会 1995 書誌ID 0000546980
*4 『ふれあい城東 2007年9月号No.135』 城東区役所区民企画担当 2007