本文へジャンプ
大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
蔵書検索利用案内おしらせ・催しもの大阪の古地図・古文書よくある質問|サイトマップ(目次)
※ 各区やわが町・大阪について、図書館でよくお尋ねのある質問と回答を区毎にまとめてみました。
        ⇒各区名の一覧はこちらです
        ⇒分野別の一覧はこちらです

住吉区に関するよくある質問と回答

「住吉かるた」に描かれている絵について、場所・解説等があれば知りたい

 「住吉かるた」には、昭和60年10月に住吉区制60周年の記念事業として作成された「住吉かるた」と、平成4年10月に住吉区コミュニティ協会10周年の記念事業として作成された「住吉かるたU」とがあります。共に既に在庫なしで入手不能ですが、「住吉かるた」については現在、「住吉区の名所・旧跡や昔の風俗、習慣などをいろはかるたに詠み込んだもの」として住吉区のHP*1で紹介されています。
 この「住吉かるた」の著作者としてHPで紹介されている白井伊之助氏には『住吉界隈いま・むかし』*2という著作があり、その一部が「かるた」所収の風景画として使われていますので、その解説を「かるた」絵の場所・解説として読むことができます。

【参考文献】
*1 大阪市HP > 各区・各局 > 住吉区トップ > 区のプロフィール > 住吉かるた
   
http://www.city.osaka.jp/sumiyoshi/outline/carta01/carta.html
*2 『住吉界隈いま・むかし』 白井 伊之助編 「住吉界隈いま・むかし」刊行委員会 1980 書誌ID 0070093984
△このページの目次へもどる  |  ▲このページの先頭へもどる

「住吉街道」という街道があると聞いたが、その起点・終点・現在の道との関連を知りたい

 住吉街道については、(1)住吉大社付近で紀州街道から東行分岐し、住吉大社を横切り現在の長居交差点に到る道筋の名称として用いられる場合と、(2)紀州街道の一部の別称として用いられる場合との二つの用例が見られます。
 住吉大社を横切る住吉街道については、『住吉区史』*1(p.231)「住吉街道」の項では「経路は住吉大社境内西北角地点の紀州街道を起点に、大社境内を地を横断する。その道筋は大社第一本宮と旧神宮寺境内との境界道路を通る。東門北側で境内を抜けたあとはそのまま東進、長居公園通りに合流して終わる。」と、『住吉村誌』*2(p.203)「住吉街道」の項では「住吉街道は墨江村大字長峡紀州街道より分岐して住吉神社の北側を縫い、東に進みて字中辻を過ぎ、字大領、龍王、仁王町、蛭田、下中島、寺岡西等の南辺墨江村大字上住吉との境界線をなし、長居村大字寺岡に至り、更に平野郷町に達する通路にして、村内の延長八百二十間、幅員二間を有す」とそれぞれ説明がありますが、これらの資料に地図はありません。
 『大阪市の旧街道と坂道』増補再版*3は、現在の住吉大社社務所付近から住吉大社を東に横切りやがて南東に下りながらJR長居駅の西側で現在の長居公園通に合流し長居交差点(長居公園南西角)付近で旧八尾街道に接続する道筋を「住吉街道」として記載しています。これは最近の地図上に旧街道筋を重ねて示した図ですので、現状との比較が容易です。
 また、紀州街道の一部の名称として紹介しているものは、『大阪春秋 66号 おおさかの歴史散歩道 3』*4(p.28〜29)「路面電車が避けた道」では、堺では昔の堺環濠の北之橋(現在では綾之町付近)から住吉大社までを「住吉街道」と呼んでいるとして、その区間を阪堺線路面電車経路との比較で示した略図が掲載されており、『大阪春秋 71号 堺筋・紀州街道』*5(p.78〜79)「紀州街道沿いの住吉付近散策」では、紀州街道は大阪を起点とし、和泉地方を通り和歌山にいたる道で、別称住吉街道ともいったとして、南港通りの辺りから南へ大和川まで、街道に沿って散策した道筋を地図上に示したものが掲載されています。

【参考文献】
*1 『住吉区史』大阪都市協会編 住吉区制七十周年記念事業実行委員会 1996 書誌ID 0000624165
*2 『住吉村誌』住吉村常盤会 1927 書誌ID 0080230635
*3 『大阪市の旧街道と坂道 増補再版 』旧街道等調査委員会編 大阪市土木技術協会 1987 書誌ID 0000250661
*4 『大阪春秋 66号 おおさかの歴史散歩道 3』大阪春秋社 1992 書誌ID 0000250452
*5 『大阪春秋 71号 堺筋・紀州街道』大阪春秋社 1993 書誌ID 0000320507
△このページの目次へもどる  |  ▲このページの先頭へもどる

遠里小野(おりおの)の地名の由来について

 遠里小野の地名の由来につきましては、『角川日本地名大辞典 27 大阪府』*1によりますと「古くは「とおさとおの」とも読み、瓜生野(うりうの)とも称した」とあります。前者につきましては『万葉集』*2の巻第七の「住吉の遠里小野(とほさとをの)の真榛(まはり)もち摺れる衣の盛り過ぎ行く」の歌などに見ることができます。また『摂津名所図会 1』*3でも遠里小野(とをさとをの)として紹介されています。後者につきましては『東成郡史 下巻』*4に「名称の由来は中河内郡の瓜破と語源を同くし、昔時は瓜の産地なりしを以って瓜生野と称せしが、訛りて遠里小野と呼ぶに至れりと。」と述べられています。そこから『太平記』*5の巻第二十五の「住吉合戦事」に「先住吉ノ敵ヲ追出サント、石津ノ在家ニ火ヲ懸テ、瓜生野ノ北より押寄タリ。」とありますので、住吉合戦が遠里小野の付近で行われたことがわかります。

【参考文献】
*1『角川日本地名大辞典 27 大阪府』「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1983 書誌ID 0000184865 p276
*2『日本古典文学大系 5 万葉集 2』岩波書店 1978 書誌ID 0070022864 p217
*3『摂津名所図会 1』秋里籬島著 1984 書誌ID 0090004723 p122〜123
*4『東成郡史 下巻』東成郡役所編 名著出版 1972 書誌ID 0070093613 p1551
*5『日本古典文学大系 35 太平記 2』岩波書店 1977 書誌ID 0070037740 p465
△このページの目次へもどる  |  ▲このページの先頭へもどる

「住吉の長屋」とは何ですか?

 「住吉の長屋」とは、1975(昭和50)年に設計され翌年完成した、建築家安藤忠雄の出世作とも称される作品で、住吉大社の近くにあります*1。
 長屋の中央の一軒を通し梁もろとも切り取ってコンクリート打ち放しの住空間を挿入したもので、内部を均等に三分割した真ん中部分が中庭となっている点が特徴です。間口2間、奥行8間という狭さで、中庭を中心としたシンメトリーの構造上、寝室からトイレに行くためには雨も降り風も吹く光り庭を通らなければならず、住居として肯定的に捉える人々が少なかったことが安藤忠雄自身の著作『家』*2で言及されています。この中庭については『人間は強靭なもの』という信念のもと『ここに住みつく意思を表明した人間がこの空間をとおして、自然の一部であることを再認識するための装置』として位置づけられ、狭いが故の自然とのふれあいを生み出すことを意図したものと述べられています*3。
 建物内部の写真、間取り図、図面を記した資料は比較的見受けられますが、正確な所在地については個人の住宅でもあるためありません。数点の資料*2*4*5に周辺図が記載されておりますが特定は困難です。

【参考文献】
*1 『同時代の建築 : 八人の建築家たち』 宇波彰著 青土社 1988 書誌ID 0070067442 p49〜80
*2 『家』 安藤忠雄著 住まいの図書館出版局 星雲社(発売) 1996 書誌ID 0000561393
*3 『安藤忠雄のディテール : 図案集 六甲の集合住宅・住吉の長屋』 安藤忠雄著 彰国社 1984 書誌ID 0000166895
*4 『建築を語る』 安藤忠雄著 東京大学出版会 1999 書誌ID 0000742865
*5 『夢のすむ家 : 20世紀をひらいた住宅』 鈴木博之著 平凡社 1989 書誌ID 0000215121
 ほか
『住吉の長屋』 安藤忠雄 千葉学著 東京書籍 2008 書誌ID 0011712217
『まちに住まう : 大阪都市住宅史』 大阪市都市住宅史編集委員会編 平凡社 1989 書誌ID 0000156443
『安藤忠雄の建築 = Tadao Ando 1』 安藤忠雄著 TOTO出版 2007 書誌ID 0011389363
△このページの目次へもどる  |  ▲このページの先頭へもどる